わりとなんでもどうでもいい

自分と家族の記憶のために記録中@ちぇび

past:お前は偉いんかっ!



元ダンナはその時点でホテルの従業員でした。

余談ですが(余談じゃないかも?)、まだ家を出る前のある日、

もはや物置き場と化した台所の棚の上にポーンと茶色い紙袋

が・・・。

パンとかそういう小さいものが入ってそうな、くちゃっとした紙袋。

なんだろう~、ゴミならちゃんとゴミ箱へ捨てられないのか???と

半ギレ状態で中を覗いたら、なんとなく中が赤い。

ん???なんだろう?と袋をひっくりかえしたら、パサッと何かが

出てきました。広げると・・・なんとまぁ、女性物のパンツ・・・。

私赤いパンツとか履きませんwwwしかもレ~スひらひら。

「これなに?」と聞くと「お客さんの忘れ物。」



遺失物という言葉があると思うのですが、お客さんがどこかで何か

忘れ物をしたら、それは持って帰っちゃいけませんよね。しかも

何か分からない番号の付いた札がついてる・・・。買ったんじゃねぇ

の?と思っていましたが、そうこうしているうちにゴミ箱へ捨てられ

ました。忘れ物ですよ???お客さんが取りに来たらどうするんで

しょうね、パンツ。



それにしても、思い切り子供の手の届く範囲。本当に由々しき問題

でした。



まぁそんなホテルの従業員、夜勤中心の仕事で「子供と一緒に

過ごす時間が欲しい」と、これまたホテルの短期バイトを経て、

小売業の後についた職業です。

夜勤だから昼間は家にいる・・・だから遊べる・・・という短絡的な

考えしか頭になかったんでしょうかね。実際は昼間は寝てる時間に

なるわけですから、遊べるわけない。

そして結局娘はずーっと姑の所で生活する事になり、自分の家に

帰る事はほぼなくなるわけです。



私は息子を保育園に預け、それ以外は私が世話を全てしています。

でも元ダンナはずーーっと姑に預けて自分では育てる暇がないの

です。あの家族で育つのは非常に心配なので、自分で育てられ

ないなら娘を返せ!と再三にわたって言ってきましたが、元ダンナ

の言い分としては親族が周りに沢山いる慣れた環境が良いに

決まっていると譲らないのです。




7月ごろにはNさんと私と息子は頻繁に会うようになり、息子は

一緒によく遊んでもらっていました。私が日ごろの仕事や何や

かんやで疲れていて、あまり遊んでやれないので、Nさんと

少しの時間でも遊んでもらえるのがとても嬉しいようでした。

もともと息子は人懐こく誰にでも人見知りせず溶け込んでいく

のですが、Nさんに対してはそれはいつもより倍早かったよう

です。



2010年の8月ごろ、娘は既に千葉の小学校で初の夏休みを

迎えていました。

新一年生を千葉で過ごし、既にお友達も沢山出来たようで、

このまま母親のエゴで慣れた環境から無理に引き離すのは

可哀想だと思うようになりました。

私自身子供の頃の転校で苦労した覚えがあるので、同じ思い

をさせたくなかったのです。7月の調停でそういう気持ちがある

事は何気なく話しをしていました。

Nさん、私、息子の3人はもうすっかり慣れているし、窮地を

乗り切った戦友のような感じでスクラムがガッチリ組まれて

いる、そこにポンと娘が来るとなると、私は嬉しくても、娘も

Nさんも気まずい思いをしなくてはならないだろう・・・そう考え

ると、益々無理に呼び寄せるのは単なる私のわがままになる

気がして、7月、8月はとても悩みました。

このまま娘は遠くから見守る事にして、私は新しい可能性を

見据えて前へ行くべきか・・・と少し心が傾いていた時、

元ダンナから弁護士宛てに電話がありました。調停と調停の

中間の時点でした。



「娘の親権は渡さない。加えて息子の親権を分けてお前には

親権はやらない。代わりに監護権はやる。」




と言ったそうです。

どうしたらこんな上から偉そうな口が聞けるのでしょうか。お前は

何様だ!!