わりとなんでもどうでもいい

わりとなんでもどうでもいい

自分と家族の記憶のために記録中@ちぇび

past:選択・2



娘を預かってもらい、私たちはどこか話せる場所へ移動しようと

車でその辺の路地へ停まりました。よく見ると後ろには姑と舅が

乗った車がつけてきてるwww



お前ら家族そろってストーカーかよっ!!!



あの人達が着いてくるようなら私は話しをしない!と言い放ち、

元ダンナは後ろの車に家へ帰って待ってろ!と伝えに行きました。

それから近くのコンビニに行き飲み物を買ったり、ファミレスに

行ったりしましたが、トイレなどで席を離れるたびに、

「かばんを置いていけ!」とか「携帯を置いていけ!」と言われました。

トイレからおばあちゃんの所に連絡しようと思ったんですが、

まぁそう上手くいくわけにいかず・・・



そこから走って逃げておばあちゃんの所に行けば良かった・・・



おばあちゃんの家は知っていたから行こうと思えば行けた・・・

そのまま駅まで送ってもらい逃げる事も出来たでしょう。

だけど怖くてどうしても動けなかった・・・これが本音です。

私たちは昼12時から夜9時くらいまでずっとファミレスで話しをして

いました。



どちらも子供は譲らない・・・



そして9時ごろになり、

「娘も迎えに行かなくてはならないし、息子も母に預けて不安

だろう。早く息子の所にいってやれ。本当は2人とも返して欲しい

が、100歩譲って息子の面倒は見てもらう事にするから、こっち

は娘の面倒を見る。」

どれだけこんな上から目線が出来るんでしょう。

でも私はもう呼吸も上手に出来ない状態でクラクラ、疲れが

ピークに達し、元ダンナの言う通り娘を手放してしまったのです。



娘を手放してしまった・・・・・






娘を迎えに行き、娘に事情を話しました。おかあちゃんは一旦

弟の所に行くね・・・また絶対会えるから・・・

私は断腸の思いで去っていく車の娘を見ていました。





それが2010年3月18日の事・・・次に娘に会えたのは2010年10月・・・



半年も娘と会えませんでした。もちろん、元ダンナには今住んでいる

場所や職場などは一切教えず・・・どうしたら娘を取り返せるかを

日々考えていました。



その間3月20日には埼玉に転居を済ませ、25日から5日間、息子の

鳴らし保育、そして4月1日から現在の職場に契約社員として

フルタイムで働き始めました。



仕事に慣れる事と研修とで毎日疲れ溜まっていく一方で、娘の事

を考えない日はありませんでした。

私一人ではあの頭のおかしな家族に太刀打ち出来ない・・・

離婚と親権を確実な物にするため弁護士を雇う事にしたのでした。



弁護士さんが言うには話しを聞いている上では、私に勝算の可能性が

高いという事でした。ただし、証拠があればの話し。



証拠ね・・・。