わりとなんでもどうでもいい

わりとなんでもどうでもいい

自分と家族の記憶のために記録中@ちぇび

2017年12月30日

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んーーー。
この出来事を書こうかどうしようか迷ったんですけど、新年のご挨拶もなく普通にブログの更新を続けていくのもちょっとおかしいかなと思いまして。自分の中の気持ちの整理ももしかしたら、少しすっきりするかもしれないと思ったので書くことにしました。前へ進んでいくために。

※長くなるしとてもパーソナルなことなので、読みたい方だけ読んでいただければ幸いです※



タイトルにもあるように私の父が去年12月30日にこの世を去りました。

この世を去るっていうのはどういうことなんだろう??物心ついた子供の頃から私はこの疑問から解かれることがなく、ずっとずっとどうなるんだろうと思っていました。あまりに謎すぎて出来る範囲で深く調べようとしたことがあります。周りから見るとオカルトちっくに見えるかもしれないのですが、私は全くそんなことは思っておらず、単に好奇心、探究心のみです。

だって絶対誰しも謎に思っていることで、絶対誰も知らないはずで、でも誰だって経験することだもの。色々調べたくなってもおかしくないと思います。どうせ死ぬならなんで生まれてきたんだろう?とかね。これから何をしていけばいいんだろう??って人生の目標がわからなくなってしまった時なんて特に、私何のためにここにいるんだろう?何すればいいんだろう??って思います。本当に単純に分からないだけなんです。

本を読んでもネットで調べても答えなんかない。当たり前、だって誰しも謎に思っt(ry 以下繰り返しwww
だから、調べても調べても絶対こうだという確証なんてどこにもないんですよね。それでも、将来どうなるなんて、過去がこうだったからなんて思ってもしょうがない、今どう生きるかが大切なんだってこととか得るものがあったりするんです。だから無駄ではなかったと思います。

父は珍しい人で、人に対する偏見を一切と言っていいほど持たない人でした。
生前父が関わっていたものに「NPO法人京都でてこいランド」というものがあるのですが、創設にも携わり館長をしていたこともあります。父の功績は大きなものだと思います。どなたでも利用可能なのでもし興味を持たれた方がいらっしゃれば見てみてくださいね。

detekoi-land.sakura.ne.jp

 

数年前から父は半身不随となり歩行不可能になりました。直接の原因はおそらくパーキンソン病ではないかという事だったのですが、学生時代はマラソンランナーとして地元の新聞に載ったこともあるくらいの足の持ち主だった父が、歩くことすらできなくなることは最大の苦痛だったのではないかと思います。(新聞は大事に大事に取ってあったみたいです。私も見たことがあります。)

まぁそれで子供の頃はしんどいから嫌なのに陸上とかマラソンとかさせられてwww血を継いでるのか短距離も長距離もそれなりに強かったですが、こちらも血を継いでいるのか根性がなくて続きませんでしたねw

そう!
半身不随となったって、上半身を鍛えて車椅子で元気に過ごしている方は沢山いらっしゃるし、父にもそうなって欲しかったんですよね。父の体に合わせた車椅子を作ってもらったり、今後通常に近い生活が出来るようにと本人が望む土地で部屋を新しく借りて・・・なのに根性がなくて(?)ほとんど寝たきりの状態になってしまいました。

既往症があったり、常に大量のアルコールを摂取していた過去もあったので根本的な体の機能が正常に働かず衰弱していって帰らぬ人となりました。
アルコールは半身不随になった時からきっぱりと止めています。その為離脱症状で半年ほど夢の中にいるような精神状態で過ごしていました。何事も過ぎることは良くないんですね。止めるまでは半端ない量を毎日飲んでいたようです。幸い酒癖の悪い人ではなく、いつも穏やかに過ごす人ではありましたが・・・アルコールって怖いww

ここで一つ注意!アルコールを浴びるように飲んだら、急にストップしてはだめってことですw徐々にストップするようにしましょうwじゃないと離脱症状が起こることがありますよ!私の父の様に・・・
(なんの注意・・・)

そんなわけで、12月28日に緊急搬送され、その日の夕方に今晩が山だと病院から連絡があり、ものすごくびっくりして、でも今からじゃとても間に合わないというのが分かってどうしたら良いかわからず、延命処置はどうしますか?って聞かれても要りませんとも、挿管してください(挿管後は植物状態)とも言えず・・・ただただ泣いていました。

 

要りませんといえば死んでいく父をそのまま放置するような気になるし、挿管して欲しいって言ったら機械的に無理やり生かされている状態かもしれないけど、今度はそれを抜くか抜かないか、何時抜くかの判断を迫られるわけです。どちらも即答は出来ませんでした。どうしよう、どうしようと言いつつ、最後には兄弟で話し合ってとりあえず挿管してもらおうと決めました。

でもその晩はなんとか持ち直したようで、主治医も年明けでも間に合いそうですと言ってもらい安心していましたが、最後に会ったのが11月。とりあえず行っておこうと思って28日の夜に予約開始。

世の中年末、タイミングが悪すぎですw帰省ラッシュで思うように新幹線が取れず・・・もちろん昼間や朝などは満員。始発等は空いていたかもしれないけど、家からは間に合う時間に出られない・・・そんなラッシュの中でやっと12月29日20時台発の新幹線を押さえました。ホテルも急遽予約。

そこからずっと病院からは連絡がなく、29日の夜に父の病院のある京都へ向かいました。着くのが22時過ぎてしまうのだけど父に会えないか病院に問合せてみましたが、だめで・・・でも30日の午前中は本当は面会出来ないけど来ても良いと仰ってくださったので30日の午前中に行くよう7時過ぎに起床してご飯食べて〜〜なんて思っていたら、突然「すぐ来てくれ!」と病院から連絡ががが。

京都駅近くにはいるけれども、今直ぐってどうやったら直ぐに行けるんだろう?ご飯も食べてないしまだパジャマで顔も洗ってなければ化粧ももちろんしてないし・・・どうしよう・・・・とか思ってる場合じゃない!と思いwwwとにかくキャリーケースに忘れ物がないようにだけ広げたものを放り込んでタクシーに飛び乗りました。

タクシーのおっちゃんはなんとなく察してくれたようで、出来るだけ早く着けるように気を使って頂きました。ありがとうございました。渋滞等もなく早く着けたはずなんだけど、着いた時にはもう時既に遅く。マスクから動かない心臓や肺に向かって酸素が送り続けられているだけの状態でした。

前日、ケアマネージャーさんやお友達が同席する中、主治医からどういう病状かの説明を受けていたそうです。その説明もしっかり理解して、万が一の時に延命処置をしますか?との問にもしっかりと「嫌だ」と答えたそうです。私達子供にとったら本当にその判断だけでもしてもらってよかったと思いました。

父は目と口を少し開けた状態で天井を見ていました。すぐに答えてくれそうな表情だったので、少し大きな声でお父さん!と呼んで痩せ細った肩をゆすりましたが、当然反応はなく・・・反応する体力が落ちてるだけだ!ともう一度・・・更にもう一度・・・

 

今日は明けて1月6日でもう1週間経ちました。早いですねーーー。もう1週間前の事だなんて。去年の12月28日は仕事を少しこなして、そろそろ窓の掃除しないといけないなぁ、面倒だなぁ、お節はいつから作ろうかなぁ・・・と考えていました。特に今回はやる気がなくww父はそんな私のやる気の無さに気がついたのかも?と思ったりww

お通夜はせず家族葬を12月31日大晦日にこじんまりと行い31日に自宅に戻ってきました。ものすごい強行スケジュールでしたが、年をこのまま越すのはなんとなく嫌で・・・父も多分さっさと終えてしまいたいと思うだろうしと年内におさめました。

死んでしまったらもうあとは残っている人が全て決めていかなきゃいけない、本人が望もうが望むまいが。それが嫌だったら生前にきちんと決めて置くべきだなと思いました。死が目の前に迫っている必要は全く無いと思うんです。あとあと残された人が困らないように、自分が望むことは前もって決めておけばいいと思います。縁起が悪いとかそういうことではなく、必ず誰にも起こることだしもしかしたら明日、そういう事になるかもしれないから。

父は逝ってしまったけど顔も声も思い出も全部覚えてる。変わらない元気な姿でずっと心のなかで生き続けるから、これから一生懸命生きていく私を見ていて欲しいと思います。そしてまた何かネタがあれば引き続きブログを更新していきます。新年のご挨拶は割愛いたしますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。